電電のブログ

電電生だったひとのぼやき

世界一危険な道路でこけてやばかった話(思い出す世界一周シリーズ[ボリビア]デスロード編)

はい電電です.
実は,僕ブログ旅中に書いてたんですけどだんだん書くのがきつくなって3カ国目くらいで諦めたんですよね。
最近これではいけないと思い、思い出せるものについてできるだけ残します

まあ紹介はこれくらいにして,一周中の出来事を書きのこそうってことで「思い出す世界一周シリーズ」をたちあげました.
どの話からするか迷ったのでアンケートをとってみました.

アンケートの結果.第一回思い出す世界一周シリーズは「世界一危険な道路でこけて親指骨折した話」に決定しました.
まあ気になる題名だわな.

※僕が世界一周していたのは2016/09/01~2017/03/31です.できるだけ写真やFBの記録を元にして書いていきますが,記憶が怪しい部分もありますので参考程度に読んでください.

背景

この話は旅の終わり2週間前くらいの話です.
位置はボリビアの都市.ラパスです.


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標高3500mの都市ラパス

この都市はボリビアの中で一番大きく,標高が3500mとかなり高い都市です.ここからみんなウユニ塩湖にバスで移動します.
ラパスは標高の成果,特殊な街で電車などが街中に全くなく,主な移動方法はロープウェイかバスになります.ロープウェイがかなり発達しており,また一回数十円と安く市民の足となっています.

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ロープウェイ


また,ラパスは盆地になっており,犯罪率の高いスラム街などは外側の標高が高い位置にあります.ロープウェイの駅から夜に少しスラム街の通りを見ましたが,通りに明かりが全くなく「やべえな」って雰囲気しかなかったです.

しかし,そんなスラム街近くでも週末のお昼には市場が開かれ,人通りが多くなります.また泥棒市と呼ばれる泥棒が盗んだものが格安で売ってる市場とかもあります.(patagoniaとかモンベルなどのブランドものが安く売ってました)
ほかにもおばちゃんプロレスが有名だったりします.

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プロレス

ラパスはこんな感じの都市です.宿なども玄関には基本鉄格子があったりして,夜は治安悪めですが,昼は比較的穏やかで,人々もいい人が多めです.

ここに至るまでのルート

多くの旅人にもれず僕もここにはウユニ塩湖に行くためにいきました.
ラパスに到着する前にはペルーにいました.直近のルートはこんな感じです.
イカ→ナスカ→クスコ→マチュピチュ→クスコ→プーノ→ラパス→ウユニ

移動は全部バスです.南米はバスがとても発達していてバスのランクにもよりますが,バスが綺麗,ほぼフルフラットに倒せる,アテンダントが乗ってる,ご飯が出る,
テレビや充電,wifiが飛んでるものもあります.(しかも3000円くらいと安い)まあ代わりに15時間とか乗るんですけどね.(最長で30時間くらい乗ってました.)

デスロードツアーについて

ここラパスでは格安パフェをくったり,マチュピチュで落としたケータイの代わりを買ったり,朝ランニングやったりしてました(標高3000オーバーで坂駆け上がった時は肺が焼けるかと思った).

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朝霧に包まれたラパス

でそろそろ,ウユニに移動するかーって時にラパス発の日帰りツアーで面白そうなものを見つけてしまいました.
デスロードツアーと呼ばれるやつです.

デスロードについて

デスロードって言ってもマッドマックスではありません.危険度はあんま変わらないかもしれないですが.
デスロードとは別名ユンガスの道(ユンガスのみち、スペイン語: Carretera de Los Yungas)は、ボリビアの首都、ラパス市から北東方向のユンガス地方に延びている長さ約80kmの山岳道路。切り立った断崖に取り付けられた部分が長く、頻繁に転落事故が起こっていたため死の道路(西: El camino de la muerte)として知られている。

ja.wikipedia.org


要は道幅がせまくて,ガードレールがなくて,崖が隣接してて,標高のせいで視界が悪く,よく人が死ぬ道ですね.

んでこれをマウンテンバイクでおりるってツアーがデスロードツアーデス.
これよく考えると狂ってるな.

参加の流れ

どうして参加したんでしょうね?多分ワクワクしてたんだと思います.命知らずって怖いな.
まず,前日の夜に,ツアー会社に行ってツアー代金と死亡した時の責任は自分にあることの誓約書を書きました.

次の日の朝に,マウンテンバイクを天井につけたバスで出発し,湖近くでおりて,ヘルメットやグローブをつけており始めました.




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スタート地点



全ルート以下の通りです.


最初は高原みたいなところを爆速で駆け下りました.ブレーキなしでみんな駆け下りるので写真をとる余裕は一切なく,時速40~50くらいで延々おりてましたね.ここはめちゃくちゃ楽しかったです.

www.google.co.jp




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こんな感じ


結構この時点でも下の方に車やら,バスやらの残骸がおちててやばいっぽいですね.

でこの後は本格的にデスロード突入です.

道が今までは舗装されてましたが,砂利道になり道幅も細くなります.これのせいで速度あまり出してないのにハンドルがめっちゃ持ってかれます.


上から見たデスロード

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デスロード



一番どんな感じなのかよくわかる動画です.
www.youtube.com

今見ると狂ってるわ.よく行こうと思ったな俺.

で最初の方はまだいいんですけど,最後の方になるにつれてカーブがどんどん激しくなるんですよねこの道.

最終的に120度ずつくらい右に左に曲がりだします.
ツアーのグループは6人でほかみんなごりごりの欧米人ばっかだったんですけど,
こん時ほどパワーの差を感じたことはなかったですね.

僕はグループの中でも一番遅かったんですけど,もうそんなこといってられなかったですね.
目の前のカーブをいかに曲がり切るかみたいな感じでした.
まあ曲がりきれなかったら余裕で100mくらい落ちて死ぬのでそれはもう必死でした.

必死な中で曲がってる中で,4連続くらいだったかな.やばいカーブを連続で曲がった時に砂利にハンドルを取られたんですよね.
取られたあとはもうなすすべなくて,倒れることしかできなかったです.幸い結構植物が生い茂ってたのとカーブが大きかったので落ちなかったんです.
倒れた後も一人で立てて,足はなんともなかったんですけど,腕と指がじんじん痺れてました.
倒れた時は前後に誰も人いなくて,少し遅れてきた他のツアーの人とガイドとちょっと喋って,もう少しでゴールだけどどうするって聞かれましたが,
これ以上はハンドルがもてないってリタイアしました.

そのあとは最後尾についてきてた車に乗せてもらっておりたんですけど,実は本当にもう少しで降りきれてました.
この時なんですけど,これは別に悔しくはなかったですね.生き残れてめっちゃほっとしてました.
ゴールに食べ放題のご飯とプールが用意されてたんですけど,ホッとしたのと生存本能なのかおかわりしまくってました.
あとは,野生?のインコと戯れてました.

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インコ


この時も実は左手の親指がビリビリしてました.

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左手

その後

その後はウユニ塩湖行ったり,チリに入国して,月の谷(valle de la luna)に自転車で行ったりして,無事?に帰国しました.
帰ったあとは復学申請とか,オリエンテーションとか行ってたんですけど,左手の痛みがなかなか取れず,帰国して2週間後に病院行くと
こんな感じでした.

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親指粉砕されてた...


今まで足とか腕とか骨折したことあったので,この痛みは骨折じゃないなと勝手に判断してたんですけど見事に粉砕骨折してましたね.
幸いなことに綺麗に割れてたようで,手術やギブスとかも必要なくそのまま安静にしとけとのことでした.

その後一ヶ月くらいたつと痛みもなくなり,今ではちょっと爪の形が変なくらいです.

まとめ

いやー今冷静に振り返りながらブログ書いてると当時の自分狂ってるなって思いますね.
生きて帰ってこれてよかった.
行動力ましましな自分ですが,海外に行くとよりましましになってる気がします.気をつけます.


さて,ここまで長い文章読んでくださってありがとうございます.
また気が向いたら思い出す世界一周シリーズ書いていきたいと思います.(ネタならあるので...)




皆さんもデスロードを降りる際には命を大事にしてくださいね.
ほなまた〜〜.